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肌で感じてきた貧困と数字から知る日本の現状 子どもたちの味方が伝える「本当の貧困の見かた」 山野良一さん

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山野良一さん
1960年北九州生まれ。北海道大学経済学部卒業後、神奈川県に入庁(福祉専門職)。現在、神奈川県厚木児童相談所職員(児童福祉司)。2005年から2007年にかけて、米国ワシントン大学ソーシャルワーク学部修士課程に在籍し、児童保護局などでインターンとして働く。ソーシャルワーク修士(MSW)。著書として、「児童虐待のポリティクスーこころの問題から社会の問題へ」(共著・明石書店)など。全国児童相談研究会(児相研)、日本子ども虐待防止学会、貧困研究会などの会員。
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見えてきた貧困
ソーシャルワーカーとして、問題があったお宅に出向いて相談を受けたり、困っている親子の保護などをしています。子どもたちのケアの現場にいたわけですが、90年代当時は、公の機関の見解でも『日本には虐待がない』と言われていました。ところが、僕の目の前では現実に虐待が存在していました。同じように、子どもの貧困も日本にはないと言われてきました。近頃の不況によって出てきた現象のように思われがちですが、現場に働く者にとっては、昔から存在していた当たり前の現象です。子どもの貧困は、ようやく世間にも見えるところに現れたのです。
貧困の重力
最近は、不況の影響の話がよくでます。世間では、不況は誰にでも影響があるかのように言われていますが、実際には、元々弱い立場の人に強く影響がでているのです。そして、弱い立場の人は、現状を保持して生きるのがやっとの状態。もし、クビや病気などのトラブルが起きれば、アッという間にさらに下部の貧困に落ちてしまいます。

山野さんの著書「子どもの最貧国・日本」(光文社新書)で、貧困家庭は“漏斗の中”と説明します。
【要約】
漏斗の入口は大きく角度も緩やかですが、脚部は一気に急角度。もし、家族が漏斗の入口にいれば、ゆるやかな角度なので子どもたちの成長のために生活を改善していくことは、エネルギーをたくさん注がなくてもできるかもしれません。しかし、脚部(貧困状態)にいると、急な角度のためにその位置に留まっていることがやっと。上昇するには、かなりのエネルギーが必要となります。逆に、引力によって下に落ちてしまうことはあまりに簡単です。現状を維持するだけでも、貧困状態にある家族は多大なエネルギーがいるのです。
お母さんと会えるのは深夜
貧困は、僕らの仕事にも度々でてきます。ご飯が食べられなかったり、保険料が払えなくて病院にかかれなかったりと眼に見えるような形の貧困もあれば、問題の奥にひそんでいるものもあります。ある日『隣の部屋から母親のどなり声が聞こえる』と虐待の通報を受けました。すぐに現地に向かいましたが、家には誰もおらず、電話をかけても返事は無し。留守電にメッセージを残し、お母さんからの連絡を待ちました。
やがて、問題のお母さんから「夜中の9時なら会っても良いわ」と電話がありました。夜中の面会を要求するなんて、嫌がらせかと内心思いました。しかし本当のところは、そんな夜遅くにしか時間を空けられなかったのです。お母さんは、朝から仕事をかけもちし、帰宅するのはいつも深夜。借金の返済と生活を支えるために、ギリギリの状態でした。子どもにようやく会えたのに、話せる時間はわずか。すぐにお風呂に入れて、寝かせなければなりません。本当はもっと話したり、一緒にいたいのでしょうが、子どもに夜更かしさせるわけにはいきません。一方の子どもも、やっと会えたお母さんに甘えたいはずです。お互い一緒にいたくても、会える時間が短い。お母さんは、少しでも早く寝かせようと、どうしても大きな声でせかしてしまいます。どうやら、この声が通報の原因だったようです。
本当に虐待があったとは思えません。僕の前で、お母さんは子どもの背中をさすりながら、話してくれているのですから。ただ、この親子は貧困が原因で会えなくなっていたのです。
本当の貧困を見る研究
現場で多くの母と子の姿を見てきましたが、日本には実証研究そのものがとても少ないです。おまけに、研究者も数えるだけ。一方、アメリカは研究の事例も豊富で、それらを調べる人もたくさんいます。研究者も、子どもの貧困問題にもっと取り組まないといけません。大事なのは、虐待や貧困の見かたです。
虐待や貧困の問題には、どうしても個人の責任や能力から原因を探ってしまいがちです。そこから見えることもあるでしょうが、実際の家族の姿と「ズレ」が生じます。そして、この「ズレ」が解決のための方法にも影響を与えてしまうのです。アメリカは、「ズレ」をそのままにして解決策を講じてしまいました。結果、個人の虐待を防ぐ策にお金が流れてしまい、貧困そのものへの解決策は全く足りていません。親を非難するだけではなく、社会経済、政治的な問題など、もっと大きな視点から問題を見る必要があるのです。
子どもを忘れない国へ
貧しいのは、自己責任と見られがちです。本当はそれだけが理由ではないのに、本人も『努力が足りないから』と自分自身を責めてしまいます。そして、自分に希望を持てなくなってしまうのです。日本は努力を美徳としますが、「自助努力」を求める気持ちがあまりにも強すぎるように思えます。
だけど、子どもたちは「自助努力」の外の存在です。何もできない小さな彼らに、努力をおしつけるのはあまりに酷ではないでしょうか?自己責任から論じ、非難をするのではなく、子どもたちには投資をして欲しいのです。やがて、子どもたちが大きくなった時、彼らは国を引っ張る主人公になります。今の日本は、子どもたちを忘れてしまっているように思えます。子どもに目を向けられないと、気がつかないうちに、どんどん人も国も貧しくなっていきます。貧困の問題にみんなで取り組めば、将来の宝を守っていけるのです。
取材・執筆/小山訓久
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